ODで入院した話

 

私は、自殺未遂をしました。

 

OD(オードバーズ…薬の過剰服用)で意識を失って入院した。

 

自傷行為の一種で、それまでは少量(30錠ほど)のODで多少の気持ち悪さや感覚の不安定さだけを感じて眠っていたのだが、その日、もう全部が辛くて悲しくて、家にある薬全部飲んで死んでやろうと思った。市販の薬で死のうなんて浅はかでしたね。自分の足で薬局に行って有り金で買える薬をありったけ買ったりもした。

 

300錠弱を副作用も気にせず強い薬ばかりがぶがぶ飲んだ。飲み終わった時にはもう眠気が酷くてそのまま倒れるように寝たのだが、意識が薄れる中で後悔の思いを感じた。

家族が帰ってきて、揺すぶられて目がさめた。

お帰りを言おうとして起き上がったところで胃液のようなものだけを吐いた、すごく酸っぱくてとにかく薬の匂いがした。そのあとすぐに手が痙攣して鼻から抜けるゲロと薬の香り、家族の焦る顔、その状況になんだか呆れちゃって私何やってんだろうっておもしろくなっちゃっている自分、止まらない全身の痙攣、支えられながら車まで歩いて席に座ったところからもう記憶が一切ない。この時はもう考えることが出来ず、ふわふわして気持ち悪くて面白いな、これなんなんだろう?と、他人事で夢現だった。

 

これは家族から聞いた話なのだが、車で病院に向おうとしていた間も嘔吐と痙攣が止まらなかったらしく、救急車を呼ぼうということになって路肩に止まって呼んだのだが、救急隊員の人が私に触ろうとすると泣きながら暴れ、蹴ったりしてどうしようも無く嫌がったらしい。救急隊員の方々、ごめんなさい、本当に。

 

そのあと無理やり拘束されて病院で意識の確認のために話しかけたのだが、訳の分からない返事をしていて会話が全く出来ておらず、呼吸も不規則だったので集中治療室でずっと酸素マスクをつけて見守ってくれていたのだとか。高熱が出ていて、夜中に大汗をかき、氷枕をつくってくれたのは、うっすらと記憶があるような気がする。

 

目が覚めたら病院で、点滴と酸素マスクと心電図が付けられていることを理解出来た。

看護師さんは呂律が回らず上手く答えられない私に、優しくここがどこか説明してくれた。それから数日間は、毎日ここはどこか、自分は誰か、何歳か、などの基本的な受け答えが出来るか検査されたのだが、上手く言えなくてもずっとニコニコしながら待っていてくれる看護師さんに凄く泣きそうな気持ちになった。

 

あと一番感動したこと、病院食も上手く食べられなかった私に看護師さんが食べさせてくれたパイナップルが世界で一番美味しかったこと。体が自由に動かせないので、喉が渇いても水を飲めなかった私には、その甘い水分は本当に本当に美味しくて泣いてしまった。パイナップルをたべながら、生きてて良かったと泣いたよ。

 

そのあと順調に回復し、退院してからも意識は宙に浮いているようで、話しかけられても上手く理解するのに時間はかかったが、今ではもう前と変わらない生活ができています。これは奇跡で、私には生きている意味があるんだなあと強く感じる出来事です。

 

本当に、辛くて辛くて死にたい時はあるけれど、絶対に生きていた方がいいよ。みんな、生きようね。私も頑張るからね。

小さな事に感謝出来るようになって、沢山の人に迷惑をかけたけどそれでも見捨てないで居てくれる人が居ることに気付くことの出来たこの出来事は、意味のあるものだったと思う。

 

助けてくれた人、ありがとう、本当にほんとうに、ありがとう。

 

今でも軽い後遺症で手の震えがあるけど、これも私にとって必要なものだと思ってる。

元々忘れっぽかったんだけど、さらに忘れっぽくなってしまったしね。

 

今日はそんな、前向きな昔話をしてみました。忘れない様に、ね。

あと、OD自殺は辛いからみんなやめた方がいいよ〜ってのもつたえたくて。

それともうひとつ、自殺を行動に移してしまうまで抱え込まないで、その前に馬鹿らしくて大げさでおかしい事を一緒に考えよう、自殺して苦しむならその前に、今まで出来なかったことを思い切ってやってみるのも楽しいよ、自由に自己中に生きよう、どうせ私の見てる世界は私だけの世界だし。そんな感じです。

 

つまんないなこの話、ごめんね(笑)

 

おわり