金木犀の話

 

この前、母と二人で少し遠めのコンビニまで散歩をした。普段私は車で移動することが圧倒的に多く、ほとんど歩かない。お金持ちなわけじゃないよ、ちょっと我儘なだけ。母も同じで、寧ろ移動手段がどうこうの前に家から出ない。

 

そんな私達が散歩をしていると、1分に1回は愚痴をこぼす。その日は暖かかったので、暑がりの母は、暑い暑い、疲れて仕方ないと、まるでヘンゼルとグレーテルのように道に愚痴をばらまいて歩いていた。そして私は、後ろで母が落とした愚痴を拾って歩いた。

 

私の母は愚痴マシーンだ。何に対しても否定的なのである。テレビを見ていても、すぐに芸能人の悪口や嫌いな所を見つけて苛立ちながら話す。そして、私は毎回それをうんうんと半分受け流しつつ肯定しつつ聞いている。

 

母にとって私はきっと、一番の理解者であり何をしても受け入れてもらえて無条件に愛してくれる必要不可欠な存在なのである。

母は、そんな私に、少しでも否定されたり、私はそうは思わないなどと言うとたちまち機嫌が悪くなる。顔にすぐ出る人なので、とてもあからさまに機嫌が悪い顔をする。ある意味わかりやすくて良いのだが、空気が悪くなるのが厄介だ。

だから、どんな意見であれ、どんな行動であれ、母が気に入ったらそれが良いのだ。それが母にとって良いのなら、私もそれでいい。本当に、大抵のことはそう思う。母が世間的に、一般的に正しいことを言っていると思っている訳ではなく、私たちの中ではそれが正解で構わないと思う。だって母が良いと思うものは良いんだから。

 

いつも私は、母の事を赤ちゃんだと思うようにしている。人間は皆この世に誕生して成長し、老いてくるとまた赤ちゃんに戻るのだ。だからきっと、母は今2歳くらいの可愛い可愛い赤ちゃんなのだ。そう思うと、可愛く思える。

だが、決して下に見ているわけでも馬鹿にしているわけでも無い。断じてない。私は母を尊敬している。私に無い感覚を沢山持っていて、とても偉大な母を尊敬している。もっというなら、崇拝していると言っても過言ではないレベルなのだ。そして、私は母の事が大好きだ。

 

そんな母と散歩している途中、公園の横を通りかかった。まだ私の妹が小さいときによく来ていた公園だ。そこに金木犀の木があった。オレンジ色が点々とあって見た目にも綺麗で、香りも私は好きなのだが、母は強い匂いが嫌いである。なんの匂いでも、強いと嫌がるのだ。きっと前世は犬だったに違いないと思えるくらい匂いに敏感な人なので、予想通り顔をしかめ、臭い。と言った。その場を早く通り過ぎようとする母に、匂いの余韻を楽しみながら小走りで私は母について行った。

 

きっと私と母の関係性は死ぬまでこうなのだ、いや、死んでもずっとこうなのだ。でも私はそれでいい、母の自分らしく人の事を気にせず貫いていける強くかっこいい所を私は心の底から愛しているからだ。

 

母が死んだら、毎日私の好きな花を添えようと思う、金木犀のように香りが強い花でも、お構い無しに添えてやろうと思う。だって私は大人になったら、きっと母のように自分らしくて強くてかっこよくて、逆に言うととっても面倒臭い大人になっているはずだから。