愛の話

 

愛ってなんですか?という、とことん考えるだけ無駄の馬鹿らしい疑問であり、なおかつ人生において誰もが考えなければならず、また、生き物の一生に必要不可欠なものの定義の話をします。誰にも分からないし、私にも分からない、そして、人生において何度も何度も模索しながら答えが幾度と無く変わる、最大難関問題です。

 

 

たまに、「私は誰にも愛されてない」と言う人が居ます。

私はそれを100%有り得ないと考えています。

何故あなたの母親はあなたを産んだでしょう?好きな人との間に授かった子だから、子どもが好きだから、家族が欲しいから、産むしか選択肢が無かったから、後継ぎを残すため、堕ろすのを反対されたからなど、その家庭によって実に多様な理由があります。本当は産みたく無かった人も居るでしょう。

でも、命懸けで産んで、初めて抱っこした時に、やっぱり産まなきゃ良かった、こんな子憎たらしい、なんて思う人間が居ますか?

 

もし、あなたの母親はそう思ったとします。

じゃあ、あなたが幸せってなんだろう?と考えられるまでに頭も体も成長し、経験を積み、食べて寝てこれたのは何のおかげでしょうか。

 

もしも、母親はあなたを産んだ時からあなたの事を大嫌いで、育ててくれた人も仕方なく嫌々育てたとします。

そうしたら、どうしてあなたはこんなにも誰からも嫌われたまま生きているのですか?

人間は、たった一人からも愛されず、たった一人からも、一度も、必要とされずには、生きていけません。人間は他の動物と比べて賢い生き物です。賢いからこそ、自分で死ぬほうが楽だと考えてしまう脳みそがあります。動物達は、足を食いちぎられても、子供を食べられても、脳が動いている限り生きようとします。どうしても生き延びようと必死にもがきます。

それはなぜですか?

 

それは、産まれたという時点で、世界はあなたを特別に愛しているからです。すべての事に意味はあって、意味を知らない、分からないままの方が魅力的で生きやすい時もありますが、全てのことに何らかの意味があります。人間が知らない、大切な意味もきっとあります。大地や世界や先人や神や色んなものが作った意味があります。

生まれた意味も、必ずあります。神様は、きっといて、私やあなたの事がとってもとっても大好きなはずです。

 

少し宗教的で、押し付けがましい考えでしょうか?でも、あなたが気が付かないだけで、この70億人と沢山の生き物達が居る世界には、あなたを必要とし、あなたを愛し、あなたに愛されたい生き物が絶対に居ます。70億人から嫌われる事がそんなに簡単な事ですか?

 

あなたは誰かを好きだと思ったり、愛したことはありますか?

この人が好きだ、ここを気に入った、これを愛している、そう思えるのは、経験があるからです。愛し方を、あなたに教えてくれたものがあるからです。愛し方に間違いはありません、愛した相手を殺すのも、束縛するのも、愛しているのなら、間違いではありません。

でも、愛というのは、相手を愛おしく思い、相手が幸せであるようにと願い寄り添いたいと思う事です。殺すことは、相手が幸せであるようにするための、愛ですか?束縛は、相手が望んだ、愛ですか?

 

面倒な長話はやめます。

誰もが絶対に絶対に愛しているものがひとつだけあります。それは何でしょう?

 

自分です。自分に対して、死んでしまえばいいと思いますか?それは、自分の気持ちを楽にしてあげるための手段であり、悲しくて行き過ぎた優しさです。あなたは自傷行為をしますか?お願いだから死なないで、もう少しだけ生きて、この痛みや苦しみを感じてよ、あなたはちゃんと生きているよ、そうあなたに語りかけるのは自傷行為をしている時のあなたです。いきなり切り付けられたら、びっくりしますか?自分を守りたいからです。血が出たら痛いと感じますか?あなたは確実に生きていて、これからも生きていてほしいからです。手がありますか?目がありますか?気持ちがありますか?沢山の事を楽しむ為です、あなたはこの先どんなに楽しい事をしたって、咎められません。あなたがどれだけ幸せになっても、神様は怒ったりなんてしないし、自分は味方です。そして私も、あなたが素晴らしい幸せを感じることに賛成します。私も、あなた自身も、あなたの味方です。

 

一番大切なのは、誰からも愛される事ではなく、自分が自分を愛している事実を知ることです。

 

私は、今どうしても消えてしまいたくて、どうしても楽になりたくて、沢山傷付いたあなたをとってもとっても愛しています。あなたのコンプレックスは、愛すべき長所になります。これを読むかもしれないみんな、大好きだよ。そして私、頑張っていてとっても偉いよ、生きていて、偉いよ、大好きだよ。

 

きっと私はこんな事を誰かに言われたくてこれを書きました。私はずっと、自分の愛し方が分からないともがいていました。でも、愛せてないと思っていた自分を私は凄く凄く愛しているはずなのです。

 

私は自殺未遂をした事があります。死んでしまいたいと思った時、ただそれしか考えられませんでした。死んでしまおうと思って計画を立てた時、無我夢中でした。沢山の強い薬たちを飲み込んでいる時、私は憎しみや悲しさ、恨み辛みでいっぱいでした。

意識が遠のいていく時、私はたくさんの人を愛している事に気が付きました。そして沢山の人に愛されていたのかもしれない事に、気が付きました。ごめんねと、ありがとうが、ずっとずっと止まりませんでした。呂律も回らなくなり、声も出せない私でしたが、強い想いが全身から溢れて世界に縋っているようでした。泣きながら、知り合いや、家族を思い出して、何度も謝罪と感謝を伝えたいと願いました。もう少し、やっぱり生きさせて欲しいと、願いました。おかしいですね。人間は無い物ねだりです。生きていたら、死にたくなりますし、死んだら、絶対に生きたくなるのです。

 

私は生きていますが、今でも死にたくなることが山ほどあって、死んでしまおうと思う事もあります。でもやっぱり、あの意識が遠のく中での、ごめんなさいもありがとうも何の形にも残してあげられなかったという後悔はとてつもなく大きく深く、死にたいと思うより悲しく寂しい感情でした。

 

あなたが死んだら私は悲しい。

私が死んでも、きっと誰かは絶対に悲しさや寂しさを感じるはずなんです。

私も、あなたも、頑張らなくていいからもう少しだけ自分って自分に愛されてるのかな?と考えてみてください。

 

死にたいと思って自殺しようとした人間が、誰も死なないでほしいと思うのは矛盾していておかしなことかも知れませんが、死ぬ前に、もっと素晴らしくておかしくて馬鹿らしくて大きな事を考えてください。そして、私があなたを愛していて、あなたをどうしても助けたいこと、あなたと同じ気持ちで、あなたを認めてくれる人が沢山いることを少しだけわかって下さい。

 

これは誰かのために書いたわけではありません、私が、私を愛していて、私はどうしても死にたくて、私は私にどうしても死んで欲しくないと願っているから書いたものです。

 

大丈夫、とってもとっても大好きだよ。